Twitterを「バカ発見器」「バカ拡散器」で終わらせるのは勿体無いので。
昨日、中川淳一郎さんのツイートに取り上げていただきました。
おい、ネットに夢見る呑気で素直すぎるお前ら向きの記事だぞ。頭冷やすために読んでおけ→インターネットは夢の世界でも何でもないんだよ、という話をしたので。 nari104.net/blog/netshop/9… @nari_104さんから
— 中川淳一郎さん (@unkotaberuno) 2013年3月1日
いやほんと、みんなインターネットとかソーシャルメディアに夢持ちすぎ。
これらは「夢をかなえてくれる魔法の道具」でも何でもないから。
ここから本題。
よく、ツイッターを「バカ発見器」などと言いますが、
それは不謹慎なツイートや高校生の飲酒ツイートがあるからではなく
自分を含めたいい大人が頭の悪さをさらけ出しているからではなかろうか、と
思うことがよくあります。
手軽に情報発信が出来るようになったのは良いことだけど、
だからといって安易に情報発信をして良いわけじゃないと思うんですよね。
昔は自分で情報の取捨選択が出来たのですが、
今では根拠のないふわふわした考察、クソの役にも立たない考察が
好むと好まざるとにかかわらず目に飛び込んでくるんです。
誰が何を語ろうが自由だと思いますし、そこに強く責任を求めるわけじゃありませんが
「読み手からの評価」について避けることは出来ませんよね。
「ああ、あいつはバカだ」なんて思われてしまうわけです。
よく見かける「専門知識もないのに偉そうに語っている」考察はその最たるものです。
そんなのは「つぼ八」とか「村さ来」でビールでも飲みながらやりなさいって。
居酒屋での話はその場限りで終わりますが、ネット上での発言は基本的に残りますからね。
馬鹿をさらし続けて平気ですか?
中身が空っぽなまま、フォロワーを増やして声を大きくしても
自分のバカっぷりを拡散するだけといったことになりかねません。
最早「バカ発見器」どころか「バカ拡散器」ですね。
そうやって中途半端な知識を垂れ流すことに時間を使うのなら、
現実に自分の目の前にある課題をひとつずつ片付けていったほうが有意義だと思います。
そんな人にとってのみ、インターネットやソーシャルメディアが
「夢をかなえてくれる魔法の道具」とまでは行かなくとも
「自分のパワーを増してくれるもの」になるのではないでしょうか。